What's 1996-08 [日記擬き1996年08月号]
雑記
東京旅行記
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突然ですが、10日、11日と1泊で
今春卒業したU先輩のところへ、押し掛けにいく計画を発動してしまいました。
こんな厚かましいこと?をしてもいいのかと思いながら、
安くついたらそれでいいやという、結局は私も厚かましいわけですが、
取りあえず、先輩には「1泊させてください」と連絡だけしておいて、
青春18きっぷだけ買って、東京に行ってしまいました。しかも6人で。
朝5時半に列車に乗ったのなど、半年ぶりです。
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取りあえず、東京では特にいきたいところもなかったのですが、
I氏がどうしても柴又へいきたいというので、ついていくことにしました。
実際に行ってみると、通りには整然と店が並んでいて、
来てよかったと思いました。
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柴又はご存知、寅さんのところです。亡くなってから1週間。
お参りはしたものの、そこには記帳簿があったのですが、
書くこともわからなくて。まぁ、来ただけです。
しかし、その帰りに山口のラジオ局に捕まってしまいました。
「それでは今日はわざわざ大阪からお参りに」
「記帳簿にはどんなことを書かれましたか」
「あなたは寅さんのどんなところにひかれたわけですか」。
映画もほとんど見に行ったこともないのに、わかりません。そんなこと。
いい加減に返事をしてきたので、きっとあのテープは没でしょう。
I氏が答えてくれたらよかったのに。彼の希望で行ったんですから。
ラジオに出れるいい機会だったのにね。
山口だから電波届きませんけど。
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ちょうどその日は、東京湾で花火がありました。
先輩と東京駅で待ち合わせて、そのまま浜松町へ向かいました。
そこで、ビールにあてを買っていると、なんとO先輩に会って
しまいました。東京も実はせまかったといったところでしょうか。
あとは、みんなで花火を見ていたのですが、どうも建物が邪魔で、
半分くらいしか見えません。音も、あっちこっちで反射して、
どうも変な気持ちでした。それでも、楽しい時間を過ごすことができました。
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あとは、みんなで食事にいきました。中華料理店に入ったのですが、
入ってみると中はチャイニーズ・オンリーだったので驚きました。
ウェイター氏は学生風でしたが、留学生だったのでしょうか。
かなり上品そうな店ではあったのですが、どうしてメニューに
ジュースがあるのに、ウーロン茶がないの?
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夜は計画どおり、先輩のワン・ルームに6人で押し掛けました。
ほとんど身動きは取れませんでしたけど、なぜか全員入ってしまいました。
おそるべし。それでも結構長い時間寝ていました。
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起きると朝の9時を過ぎていました。それから、のほほんと
していたので11時になってしまいました。3時間ほど
新宿でうろうろしたあと、大阪へ帰ることにしました。
紀伊半島旅行記
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熊野市花火大会は、日本の花火大会の中でも
結構有名らしい。では、見に行こう!
と、思い立って、最初は汽車で行く予定だったものが、
人数も増えて車で‥‥。しかし、これが災いすることに。
予定は、草津→津→熊野→新宮→串本→田辺→和歌山→大阪→大津。
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最初は滋賀・草津に集合して、そのまま車は南へ。
最近問題になっている食中毒を心配しながらも、
それでもやっぱり肉や野菜を買って、河辺で昼食を計画。
安全なのはカイワレくらいかな。「大腸菌検査結果:陰性」
なんてかいてあったのは他にはなかったな。
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どうも道が海岸近くを走っている以上、
あまりに大きな川が多くて、なかなか河原で焼肉をするといった
手ごろな場所がない。ようやく場所を見つけたときには
もう14時‥‥。熊野まであと120キロ。
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河原では、焼肉とご飯を食べようということで、鉄板と飯盒を
つかって‥‥。ところが、調子に乗って火を強く焚き過ぎて、
鉄板はあつあつ、肉は焦げる、ご飯も出来上がってみたら、
こっちも真っ黒。食べられたのは半分程度。
しかも河原とはいっても外はあつい‥‥。つかれた。
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次に行動を起こしたのは16時をすぎてから。目的地近く、尾鷲を
18時ごろ通過。ここで車を降りておけばよかったのだが‥‥。
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熊野の花火は午後19時20分から。19時前から道路が混みはじめた。
車はとまった‥‥。しかも、場所は尾鷲と熊野のちょうど間、山の真ん中。
何も見えない‥‥。
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結局21時ごろ、ある程度山から降りたところでひとり車を降りて、
海岸をめざして走った。山の陰から、大きな花火が上半分だけ見える‥‥。
なんて山の多いところだ。
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21時40分。花火は終わった‥‥。そのまま待つが、道路が混んでいて、
車が来ない‥‥。道端にすわって待つ。
結局車が着いたのは23時50分ごろ。なんか間抜けだ。
滋賀県が交通の便のよいところだということに改めて実感する。
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0時30分ごろ、熊野の市街地に到着。海岸には砂浜があるが、
すぐそれに沿って国道、そして鉄道、あとは山。なんてところだ。
まだ渋滞は解消しない。
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1時。新宮に近づく。渋滞はなくなった。いままで溜まっていた車は、
どこへいってしまったのか。不思議で仕方がない。
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1時半。新宮近くのコンビエンスストアで軽食を購入、たべる。
A氏がローラーブレードを履いて、滑る。なんだかなぁ‥‥。
それにしても、何のためにこんなもの持ってきたのかがわからない。
でも、あのスピードだと大阪まで帰れるかもしれない。
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私はどこかで休むことを提案したが、結局そのまま進むことになった。
夜の紀伊半島は、これがまた海のにおいがして、すばらしい。
和歌山のとりこになってしまいそうだ。
車は順調に進む。信号はすべてが黄色の点滅。赤信号があって
とまりそうになったが、実は電車の信号機だった。
3時串本、4時田辺、明るくなる頃にはほとんど和歌山に到着。
海岸付近を歩くが、北進し過ぎて泳ぐところがない‥‥。
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結局午前中からは大阪・京都・滋賀の方へ向かって、すなわち
帰路へということになった‥‥。
なにかあまり意味のなかった旅ではあったが
たいへん満足している。
shacho@critical.ne.jp
Last modified: Fri Aug 23 16:39:28 JST 1996